冨樫とエミネムを応援する日記

ほぼHUNTERXHUNTERの感想

 保苅実3

書こう書こうと思って時間がとれなくて書けなかった保苅さん。そーろそろ書かないとねん。というのも、昨日会った教授とも保苅実の話が出てきたから。30代研究者の、変にひねることなく素直に、しかも大胆な行動力でもってフィールドワークを行い、旧来の硬直をあっさりとほどいてしまう… これにはやはり教授もかなりの衝撃を受けていた(なんか御茶の水書房社長の知り合いだったこともあって、出版ニュースとかいうドマイナーな雑誌にレビューを載っけてたw) 
無難なところで妥協せず、一足つっこんで、より興味深くさせる姿勢は、柔軟というか、時には過激すぎて「おいおいマジで?」と思うところもあるけど、考えてみると「うーん、でも確かにそうかも」となったりして、いやはやなんとも。
「人間以外の存在者も歴史エージェントとして、史的事実として受け入れよう」とういのは、頭では「うん、そうしよか」と思っても、やはり実際に受け入れるとなると躊躇がある。

確信をもって主張しますが、僕がつきあったアボリジニの歴史家たちは、「好き勝手に自分の都合の良い歴史を捏造」したりなんて、決してしていませんでした。グリンジ・カントリーにおいて、歴史は語り継がれ、共有されているのです。

と、保苅が言っても

アボリジニの人々の「非合理的」な説明を、もしその言葉通りの真実として受け入れるとすれば、神はほんとうに世界を七日間で創造した、とするキリスト教原理主義者たちに、どのように反論できるというのか…

というテッサ・モーリス・スズキの疑問は当然だと思う。歴史修正主義ならいざしらず、自然淘汰を経た「宗教」というものにたいして、彼の主張はあまりに有利に働いてしまうように思える。ローマ法王逝去でも思ったけど、やはり宗教は強力杉。科学でいけるとこは科学、はみでるとこは「非合理的な」モノで対処しようぜうんぬん、、てのが態度としてそりゃ最も妥当なんですけど… ふむ。

本書における歴史の概念は整理整頓されたアカデミックなギフト・ボックスのなかへと慌ただしく梱包されて、来年の国際学会でつかの間の評判を勝ち取るような、新しい資料ではない。また、週刊誌上でいっときだけ流行するような、病んだ社会のためのニュー・エイジ的救済策でもありえない。

一応馬鹿な反論防止のため。…うーん、なんだか読み返してみると、テッサ・モーリス・スズキの解説文は完成度が高ぇ。「この女の文体は駄目だ」と、最初は思うかもしんないけど、幾度か読んでみると心地よくかんじてくる。洗脳か。なんか今、文章書いてて又最初の「既に僕が言いたい事(僕より上手く)書かれててなんかしょんぼり」気分になってしまったので、もう一言で終わりにしようかと思う。
相対主義の権化だった僕(大抵のコトがでてきても驚かない)でも保苅実の文章には衝撃と感動を覚えました。読んでない人読みましょう。」   以上

  • 追記

というか、本当に残念なのが、この天才が亡くなってるという事実。なんなのほんと。惜しい。惜しすぎる。闘病中のやりとりとか読むと、正直狼狽える。…あぁ… これだけ心が動かされるのも久々です。まぁ彼の意志は僕も継ぎます、ということで。
http://www.hokariminoru.org/j/index-j.html