冨樫とエミネムを応援する日記

ほぼHUNTERXHUNTERの感想

 パッチギ その2

http://d.hatena.ne.jp/kingworld/20051018 に続いて。
少し真面目に書こうかと。主な内容は戦争責任について。というのもストーリーの終盤でチェドキ(日本の不良にボコられた後事故死)の伯父(役:笹野高史)がキレて説教する場面があるんです。

「帰れ!」「淀川のシジミくうたことあるんか、土手の草くうたことあるんか … お前らニッポンのガキ、何知ってる? 知らんかったらこの先もずーっと知らんやろ、バカタレ! ワシらはお前らと違うんやぞ」
続いて伯母(役:加藤小夜子)も「生駒トンネル、誰掘ったか知ってるか? 請け負ったんは大林組か小林組か知らんけど。国会議事堂の大理石、どっから持って来て、誰が積み上げたか知ってるか?」。んで又叔父さんが「お前は何知ってる? 一つも知らんやろ! なら出て行ってくれ! 略」と。んで主人公は、ショックで家を出てゆくわけです。
このシーンみてですね、勿論もっともな意見ではあると思うけど、ぶっちゃけ言い返せる気がしたんです。「草なんて喰ったことねぇよ!!知るかボケ!俺生まれてないし!!」とか。
埴谷雄高がこんな事言ってました。
「ハーヴェルとかワイツゼッカーが歴史について論じてますけども、自分の過去ばかりでなく、未来の子供たちにもその責任は伝わっていくのか、という問題が出てきて、僕はあると思っている方なんです。」
ふむ。僕はこれ、「ない」と思っている方です。だって、罪ってのはどの位の間背負わなければならないのか?三代?それとも基本的に未来永劫?子供たちは生まれた瞬間罪を背負う?原罪?? つうか、それはいつまで遡るの?どの範囲で?国民国家?(日本と考えた場合)じゃあ明治?江戸の蝦夷地とかはいいの?邪馬台国の頃の罪もあれですか??
諸々疑問が浮かんでくるわけで。未来の子供たちに責任が受け継がれる場合、明確な論理を示して貰わないかぎり、罪をひきうける気にはなれません。そして、その論理というのが基本的に「運命共同体としての国民国家」なわけですが、僕はどーにもこーにもこれでは納得できねーわけです。そんな人工的な枠組みでいきなり切り取られて、その国家の歴史とか罪とかを押しつけられましても、正直ふざけんな!と。
勿論僕に責任がないとしても、とりあえず自分が暮らしてる国の歴史をなるべく客観的な形(一般論としてね。価値を排除した形とでもいうか。偽史だとしてもさ。)で認識することは重要だと思ってます。んで価値判断を自分で考えてする。日本が過去国家として海外でやった事は、えらい酷いことだったと思うし、未だ公的に謝罪してなかったりするのはどうしようもない。個人的には、日本で生まれて育ったのだから「影響が一切ない」「全くの無関係」とも思えないし、そこまできれーさっぱり割り切れないでもいる。
ただ、論理としてはやはり、責任をとるのは「当事者まで」だと思うんですね。直接的な被害を被ってないやつらが「ぎゃーぎゃー」言うのは被害者意識も甚だしい。だから、この場合 主人公が直接的な加害者ではないのだから(ここで間接的なのか は極めて微妙。間接的だと言える場合、それは運命共同体としての国民国家を支持することとなる。そりゃ人によっては間接的 − たとえば兵器造って儲けて豪遊してる奴とか。だからここも個人単位まで分解しなきゃならん) 伯父がきれても、それにひるむことはない。いや、あのね、ほんと伯父がきれる理由も心底わかりますよ?まさに当事者なんだし。 しかし、それでも 「ワシらはお前らと違うんやぞ」という被害者的アプローチからの「我々と彼ら」にわけている伯父さんに対しては啓蒙したくなる。ちょいと背負いすぎじゃない?分けることによって 断絶→憎しみの連鎖 へ陥りやすくなる。対話可能性の放棄へとつながる。お互いの事が分かり合える というのは幻想かもしれないが、それすら出来にくくなる。これはいかん、とね。