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ほぼHUNTERXHUNTERの感想

 BPO 安心した!

BPO/放送倫理・番組向上機構 光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見
目を通してみた。適当に抜粋。

放送倫理検証委員会

委 員 長 川端 和治
委員長代行 上滝 徹也
委員長代行 小町谷育子
委   員 石井 彦壽
委   員 市川 森一
委   員 里中満智子
委   員 立花  隆
委   員 服部 孝章
委   員 水島 久光
委   員 吉岡  忍

目  次
? はじめに-事件・犯罪・裁判報道の重要性

? 光市母子殺害事件―差戻控訴審までの経緯と報道側の変化

? 33本、7時間半の番組-委員会検証の対象と方法

? 集団的過剰同調-本件放送の事例と傾向

? 刑事裁判-その前提的知識の不足

? 被告人報道-いわゆる「素材負け」について

? おわりに


【註1】 放送倫理基本綱領(NHK・民放連)

国内番組基準(NHK
新放送ガイドラインNHK
放送基準(民放連)
報道指針(民放連)
裁判制度開始にあたっての取材・報道指針(日本新聞協会)
裁判員制度下における事件報道について(民放連)
【註2】 放送倫理検証委員会運営規則第4条
【註3】 裁判員制度のもとでの報道のあり方について
【別添資料】 各放送局への質問と回答例

? 集団的過剰同調-本件放送の事例と傾向

番組が、あるいは番組制作者がみずからの見方や考えを強く打ち出した内容を放送することは、言論表現機関として当然のことであり、それ自体としては、民主主義を支える多様・多彩な情報提供や表現として、積極的に肯定されるべきである。
 しかし、そのためには、前に述べた「放送倫理基本綱領」をはじめとするガイドラインや基準が掲げる公正性・正確性・公平性の原則に即し、十分な調査や取材に裏付けられた根拠があることが前提である。とくに立場のちがう関係者が相争う刑事裁判のような場合には、現代の司法制度に関する基本的知識をきちんと踏まえ、双方の言い分とその狙いをていねいに取材・調査することが不可欠である。
 また、視聴者にわかりやすく伝える手法のひとつとして、裁判の過程で垣間見える人間ドラマにスポットを当て、種々の演出を凝らして番組を作ることは十分にありうることだが、その場合でも、加害者・被害者双方の人間像に深く届く洞察がなければ、薄っぺらな勧善懲悪モノに陥り、この裁判の意義と意味を見失わせ、かえって視聴者に誤解を与えるものになってしまう。

委員会が憂慮するのは、この差戻控訴審の裁判中、同じような傾向の番組が、放送局も番組も制作スタッフもちがうのに、いっせいに放送されたという事実である。取材や言論表現の自由が、多様・多彩な放送に結びつくのではなく、同工異曲の内容に陥っていくのは、なぜなのか。
 そこにはかつての「集団的過熱取材」に見られたような、その場の勢いで、感情的に反応するだけの性急さがなかったかどうか。他局でやっているから自局でもやる、さらに輪をかけて大袈裟にやる、という「集団的過剰同調番組」ともいうべき傾向がなかっただろうか。こうした番組作りが何の検証や自省もされないまま、安易な「テレビ的表現」として定着してしまうことを、委員会は憂慮している。

? 刑事裁判-その前提的知識の不足

ほとんどの番組は、裁判所がどのような訴訟指揮を行い、検察官が法廷で何を主張・立証したか、第1、2審の判決にもかかわらず死刑という量刑を追い求めた理由は何なのかについて、まったくといってよいほど伝えていない。その分、被告・弁護団が荒唐無稽、奇異なことを言い、次々に鑑定人などの証人尋問を行って、あたかも法廷を勝手に動かしているかのようなイメージが極度に強調された。

今回の差戻控訴審で被告・弁護人が提出したさまざまな事実や主張は、たとえそれらが第1、2審で提起されず、あるいは重要視されなかったものであり、また一見、奇妙に見えるものであっても、その全体が、裁判所が差戻審の審理において必要と認めた弁護活動の一環であった。裁判所が認めなければ、法廷では検察官も被告・弁護人も勝手に活動するわけにいかないことは、自明の理である。
 その意味では、本件放送の多くが反発・批判の矛先を被告・弁護団にのみ向けたことは相当な的外れであり、もしそれを言うなら、そのような訴訟指揮を行った裁判所に対して、まず言わなければならなかったはずである。裁判は裁判所が主宰するという初歩的な知識を欠いた、あるいは忘却した放送は、それがセンセーショナルに、また感情的に行われれば行われるほど、視聴者に裁判制度に関するゆがんだ認識を与えかねないものだった。

? 被告人報道-いわゆる「素材負け」について

巨大な放送システムを持ち、大勢の番組制作者がかかわり、演出や手法のノウハウを蓄積しているはずのテレビが、新聞の見出しを見ただけで、誰でも口にできるようなことしかやっていない。いったい番組制作者は何を調査し、何を思い、何を考えたのか。被害者遺族が語ったこと以外に、言いたいこと、言うべきことはなかったのか。画面には、取材し、考察し、表現する者の存在感が恐ろしく希薄である。そのような番組しかなかったことに、委員会は強い危惧を覚えないわけにはいかない。
 人間の内面から発し、行為・行動の結果として行われた犯罪から、われわれは何を汲み取るべきなのか。加害者がある必然に導かれるように犯罪に向かい、被害者は不幸にして偶然に被害者になる、という気味の悪い事件・犯罪が頻発する今日、この安易な対比的手法は事件それ自体の理解にも、犯罪防止にも役立たないことは明らかであり、深刻に再考されるべきである。

「死刑かどうかだけがニュースであって、被告の内面など解明する意味がない」
「結果の重大性や被害者遺族の心境から見れば、小さな問題だ」
「被告の供述も、弁護団の説明も信用ならない」
「荒唐無稽な供述、奇異な振る舞いは合理的な理解が不能で、取り上げるに値しない」

 委員会が視聴した33本の番組の大半からは、ストレートには言わないにしても、こうしたメッセージが伝わってくる。それは、聴き取り調査においても同じであった。

映像と音声をともなうテレビには、活字メディアなどとは比較にならないほどの強い訴求力がある。イラストの1本の線、ナレーターの声のトーンひとつで、視聴者がその人物に向ける好悪の感情、信不信の意識が左右されてしまう。司会者やキャスターの仕種や番組の進め方、記者やレポーターの表情や語り口といった非言語的表現も、ときには視聴者や世論を動かすことがある。
 しかし、これら数々の演出にもかかわらず、伝わってくるのは、「悪いヤツが悪いことをした。被害者遺族は可哀相だ」ということだけだった。そんなことはわかりきっている。だからこうやって裁判が行われているのではないか。

? おわりに

法治とは何であるか、刑事裁判の構造的原理は何か、なぜ裁判では犯行事実がわかっているのに、被告の生育歴を調べたり、精神鑑定までするのか、法はどうして成人と少年を区別しているのか、被害者とその家族や遺族の無念の思いは、どうすれば軽減・救済できるだろうか---司法をめぐるひとつひとつの問いのうしろに、法律によって苦しみ、法律によって救われた人間たちの歴史がある。まだ答の見つからない問いの前で、いまも苦しんでいる人間がいる。
 事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、これらのことに思いを馳せ、いま立ち止まっているところから少しでも先へと進み出ることを、委員会は希望する。

【註3】 裁判員制度のもとでの報道のあり方について

公正性・正確性・公平性の原則は、表面的に捉えれば、真実を明らかにするための手続きにすぎない。真正面から事象に向き合い、取り組もうとする放送人にとっては、足して2で割るような公平性ではなく、みずからが、みずからの力で切り開く真実性こそが唯一の原則であろう。

なんだこりゃー。まともすぎる。

おいおい、どうなってんの。これを会見で聞いておいて、あの程度の記事しかかけないんですか、全国紙の方々は。東京新聞だけは、それなりに頑張っていたけど。

テレビの方はなー とくダネ!が特捜エクスプレスで扱ったと思いきや、フジテレビのコメントいっただけで、小倉さんから一言もなくスルーされてたから…もうなんというか、、合掌