冨樫とエミネムを応援する日記

ほぼHUNTERXHUNTERの感想

 足利事件 ながめ

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫)

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫)

・クレショフ効果

足利事件の迷宮は、菅家を犯人だとしたすべての人々が陥った心の闇が生み出したものであろう。一度疑い出すと、何もかも疑わしく思われ、信じられなくなる心。筆者の中にもある疑心暗鬼が、巨大迷路の出口だった。(478頁)

 足利事件が冤罪事件だったことは周知の通り。「警察・検察は何やってたんだ!」「裁判所もちゃんと仕事しろ!」と思った人は多いだろう。さらなる冤罪を防ぐためにも「権力が時にやらかす」という認識が広まるのは良いことだと思う。

 ちょうど再鑑定結果がでた頃に、キムタク主演でMr.Brain*1という科警研のドラマがやっていて、思いっきり逆風だな…と思った記憶がある。クロ現でも自白の強要について取り上げたり、とにかく冤罪らしいと流れが変わって以降は様々な報道がされていた。僕は、ようやくこの時が来たか!と嬉しさ半分、でもどうせならもう少し掘り下げればいいのにと物足りなさ半分で眺めていた。

 なぜか。それは↑の本(単行本)を読んでいたから。きっかけはテレビだったので多分日テレ。*2時期的には去年の今頃。本を読むと、実際は思ったより単純な話でもないことが分かる。冤罪なことは間違いないという印象を受けたにせよ、じゃあ単に警察がやらかしたのか?というと、それだけで済む話でもない。著者も言っている通り「どこに視点を置くか」によって物事の見方は全く異なる!という現実のやっかいさがあるからだ。

・捜査と裁判
 この事件をDNA鑑定を導入するための国策捜査だと捉える向きもあるようだが、本書を読む限り、少なくとも現場の捜査員達は極めて真剣に取り組んでいた。1年半、のべ動員数39000人という半端ではない規模での捜査が、わざわざ間違えたくてしたものだとは思えない。もっともDNA鑑定に不自然な点が多くあったのは確かなので、その可能性も完全に否定することはできないが。

 足利事件(マミちゃん事件)は未解決の幼女連続殺人事件の三件目と位置づけられ、発生直後から素早い対応がとられると当時に大きく報道された。

あの時は、足利市内の中学生以上の男だったら、アリバイないとみんな疑われたっぺ。俺の知り合いだけでもさ、10人は唾液を採られたんだ。みんなさあ、早く犯人掴まえろって、警察叩く声がだんだんでかくなったわな(244頁) 市民

 こういった状況下で、いくつかの偶然・誤解が重なり、事件発生から半年後、菅家さんに尾行が付くようになる。そして、過労で倒れる者もでるなど必死の捜査にも関わらず、進展しないまま一年がすぎると、マスコミ、市民、本庁(キャリア組)からのプレッシャーは凄まじいものになっていた。

(本庁と)とことん話し合って、最後は任意(同行)をかけるしかないかってとこで、その時だ、その時に、奴(菅家)があれを捨てたんだよ。阿倍(警部補)たちが、ティッシュをゴミ捨て場から拾ってきたんです。もう披露困憊なんだよ、俺らは、DNAがだめだったら、それはもう、神様しかわかんない……。その時にはさ、勝負賭けたいって思ったよ (263頁) 幹部A

当時、尾行をつけた重要容疑者が、三、四人いたけど、(捨てたゴミを)本人の物だと特定できるのは一人暮らしの菅家しかいないわけさ。だから、他の容疑者は入手しようとしても入手できない。他の容疑者の皆さん、精液検査できるわけないし。それに現場資料が微量だから、鑑定できたとしても一人だけだろ。となると、その頃の容疑者のうちで一貫して専従を張りつけてきたのは奴だけだからね。菅家で行こうと……(264頁) 幹部B

そうして現場から、ある種神頼みとして送られたDNA鑑定は、三ヶ月後「一致」という結果で戻ってくる。ここで「いや、味方だろうと科警研を疑えおうよ。」と言うのは、あまりに厳しい注文だろう。

 1991年12月、任意同行された翌日未明に菅家さんは自白した。この瞬間、彼を「無実」だと思う人はまずいなかった。マスコミも断定口調で犯人だと報道し、当然それを受けた多くの国民は彼をそういう目で見ることになった。弁護人ですら一審時は彼が犯行をしたことは間違いないと思い「極刑を免れること」を焦点に弁護を行った。
cf. 足利事件当時の新聞報道 - どうにもならない日々

 DNAという超大技に加え、詳細(でありながら非現実的)な自供をしたことから、関係者(警察、司法、マスコミ)の大半は、彼を有罪だと思いこんだ。家族でさえ、警察の捜査を疑うことは難しかった。一度「怪しい」と心のどこかで思うと、どんどんそういう風に見えてしまう。奇しくも、彼の経歴や行動は、そういった誤解を加速させるのに役だった。

久田先生が、菅家さんを有実と信じてしまったのも、無理はないですよ。その当時は、みんなが究極の鑑定法だと思い込んだんですからね。私、菅家さんに会うまでは、どんな人なのかと、じつはすごく緊張していたんです。で、実際に面会してみたら、なんて生真面目でお人好しなんだろうって……。それと、自分が不利なことも関係なしにすごく素直に話してくれる。あっ、この人は信じられると思ってしまった。(149頁)  佐藤弁護士

 それでも、数少ない味方もいた。一審途中から無罪を主張した菅家さんを、支援する市民グループができていて、彼(女)らはDNA鑑定にいち早く取り組んでいた佐藤弁護士に弁護を依頼する。控訴審では400字詰め原稿用紙にして2320枚(検察62枚、一審弁護13枚)の弁論要旨で、自白と客観的事実の矛盾、DNA鑑定の不備や疑問を展開。しかし「DNA鑑定、自白共に信用できる」と棄却されてしまった。「そんな馬鹿な話があるか!」と思うだろうけど、裁判の仕組みを理解すると、それも有り得ることだとわかる。

 そもそも裁判とは「真実」を明らかにする場というよりは、適正手続きの中で有罪を立証することができるか否かというゲームなのだと捉えた方が恐らく正しい。そのために検察はストーリーを作り、弁護士は不自然な点がないかを探り、裁判官は自由心証主義に基づいて判断を下す。提出された証拠の中からどれを優位な証拠と選ぶかは個々の裁判官に託され、彼(女)らが認定した事実によって犯罪の証明が合理的に説明される限り、誤判であろうとも法的には許容される。

 こうしたルールにのっとり、高木裁判長は自白を信用できるという観点から、証拠を捉え、必然的に検察側の主張するものだけを評価の対象とした。

たくさんの優秀な人たちがやってるんだから、私としては社会のルールとして判決を信じるしかない…… (474頁) 遺族

・再び繰り返さないために

国民の生命・身体・財産などに対する強制力の行使は、法が定める正当な手続きと方法に基づいて行なわれなければならない

特に警察権力の行使は、絶対的にDue Prcess Of Law の精神に基づいて行なわれなければなりません。わが国の警察権力や国家権力には、彼らが思っている程の信用はないのです。ですから、殊のほか Due Process Of Law が求められるのです。しかし、その自覚がもっともないのが警察官であり、検察官であり、官僚です。ですから、ちょっと油断するとわが国は、警察国家になり、官僚王国になってしまうのです。

by 白川勝彦Web 忍び寄る警察国家の影

 守られるべきはずの「適正手続き」は破られ、デタラメな捜査・手法によってトンデモ裁判が行われていることが無きにもあらず…と勘の良い人は既に気づいていることだろう。最近では東京新聞:福島汚職 佐藤前知事、二審も有罪 東京高裁 土地差額のわいろ否定:社会(TOKYO Web)などがまぁ怪しいけど逸れるのでおいといて、足利事件をはじめとして「自白」がどういった状況で導かれるのかは、一国民として知っておきたい。

 現在の刑事訴訟法では、被疑者を最長23日間、刑事施設(ここでは人権が保護される)に留めることができる。が、実際は、ほとんど警察署内に設けられた留置所(刑事収容施設法第15条により可能)に収容される。国連でも悪名高い「代用監獄」と呼ばれる代物がこれ。留置所に寝泊まりしながら、弁護士の立ち会いも許されず、46時中取り調べを受け、その様子は記録されない。残るのは当局側が作成した供述調書だけで被疑者は署名捺印を求められ、拒否すると起訴前は留置所に23日。起訴後は証拠隠滅や逃亡の危険があるとされれば刑事施設に事実上無期限で勾留可能という凄まじい状況で自白を迫られる。推定無罪はどこへ?? 常識的に考えて、代用監獄の廃止・取り調べの可視化は冤罪を防ぐのに役立つだろう。幸い民主党は公約にそれらを謳っているので、期待したい。

 また、こうした文脈次第ではいくらでもされてしまうであろう「自白」を証拠の王様として採用し続けることも、あまり合理的だとは思えない。

裁判官一人当たりの平均訴訟案件は年間一五○件近くで、大都市部などはとりわけ多くて三○○件を抱えるケースもけっして珍しくないという。(215頁)

さらに↑のように裁判官の人手不足もかなり深刻のように思える。いずれにせよ、司法制度にはそれ自体に数々の問題がある。

足利事件における冤罪は、犯人がいてくれないと困る人々が、DNA鑑定というブラックボックスを無批判に盲信したばかりでなく、DNA鑑定によって利益を得ている専門家たちの厄介事には見ざる・言わざる・聞かざるという無責任さこそが禍根となり、この社会に生み出された危うい科学ファンタジーではないでしょうか。(518 – 519頁)

 なぜ犯人がいてくれないと困るのか。それは事件の規模が大きかったから。すなわちマスコミが大々的に報道し、多くの一般人が事件の解決を願ったから。一人一人の想いに問題はなかったが、それが怒れる世論という怪物に進化した時、生贄を必要としてしまった。些細な矛盾点や細かな事実はどうでもいい。とにかく犯人が捕まってほしい。はやく安心感をください。「走り出したら止まれない」モードに入ってしまった時、冷静な捜査や裁判が行われるだろうか。ましてやDNA鑑定、自白とコンボが決まってしまったら…

 基本的にメディアが報道したら、よほど関心がない限り、それを疑うようなことはしない。例えば、足利事件には詳しい人でも「酒井法子は薬物依存だった?」と聞かれたら、なんとなく「うん」と答えてしまうのではないか。月に1回程度の摂取を依存というならば世の中はアルコール依存の人で埋まってしまう。通常、月に1度、多くて数回程度の事を「依存」とは呼ばないが、同様に、和歌山カレー事件の犯人は林真須美で間違いないと多くの人は思っている。テレビでよく流れていたから。

 むやみやたらにプレッシャーを与えない為にも、適度に距離をとることは大事だと思う。とりあえず今であれば市橋容疑者の動向に一喜一憂するのをやめるとか。あ、関心をなくすべきだと言っているわけではないです一応。

 DNA鑑定はなぜ誤ったのか。端的に言えば「DNA試料が陳旧化していたり微量であると、その鑑別は非常に難しい(時がある)」から。「科学」と聞くと僕のような文系は無条件に信頼したくなるけど、そこは一応常に様々な条件があるということで。具体的な問題点をざっくり知りたい場合は → 本件DNA鑑定の問題点

・「政治」の領域

記録を精査しても、被告人が犯人であるとした原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められない。
 なお、本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。
 したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等を加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判決は相当である。(490頁)  

 再鑑定を求める声も含めて、四年の月日をかけて最高裁がだした回答は↑であった。

カーブボール スパイと、嘘と、戦争を起こしたペテン師

カーブボール スパイと、嘘と、戦争を起こしたペテン師

 イラク戦争のきっかけとなった大量破壊兵器はいかにしてその存在が信じられるようになったのか。ここにもまた小さな誤解の積み重なりに加え、様々な人の思惑の結果、不確定で怪しいジャンクにすぎなかったものが、たしからしい情報へとすり替わっていく状況が描かれている。これは佐藤優のゼミで軽く扱ったのだけど、総括のところで「実際、あの戦争は政治が決めていた。大量破壊兵器は口実にすぎない。(あってもなくてもよかった。)あの領域にいったらインテリジェンスは無意味。だから政治は恐ろしい。」と言っていたのが印象に残っている。

 最初の方に足利事件国策捜査の可能性は完全に否定することはできない、と書いたが最高裁のこうした文章を読むにつけ、そうした説に信憑性がでてくるように思う。小林氏も明記はしてないにせよ、所々そうした雰囲気を漂わせている。第八章には新聞スクープの裏側について書かれているのだが、それが中々興味深い。

 任意同行の当日(12/1 91)、既に全国紙三紙の朝刊には重要参考人聴取を報じる記事が社会面のトップに組み込まれていた。事情聴取を決めたのは2日前で、極秘事項とされていたため、地方紙はこれを報じていない。つまり本庁がリークしたと捉えるのが妥当であろう。この時の三紙とはDNA鑑定導入関連で先行していたA紙、その抜け駆けによる取材加熱を抑えようとした本庁からリークされた(と思われる)、某幹部とねんごろな関係にあった記者のいるB紙、栃木県警の某幹部の不正に関わる取材をしていたらその公表とひきかえに提供されたC紙で、BとCはDNAが参考人の毛髪と一致したという誤報をくらった。
ちなみに朝日はこんなかんじ (Aはまぁあれだろう)

  • 重要参考人を近く聴取 毛髪の遺伝子ほぼ一致 足利市の保育園児殺し

栃木県足利市内の保育園児、○○真実ちゃん(当時4つ)が昨年5月に誘拐され絞殺された事件で、栃木県警足利署の捜査本部は30日までに、同市内の無職男性(45)が事件に深くかかわっていた疑いを強め、近く、この男性を重要参考人として足利署に呼び、事情を聴く。同市周辺では同様の幼女誘拐殺人事件が過去12年間に3件発生し、解決していない。捜査本部はこれら3件の事件についても、この男性との関連を重視している (…)
これまでの調べで、現場に残された真実ちゃんの衣服に付着していた、犯人の物と見られる毛髪などを遺伝子鑑定(DNA鑑定)した結果、この男性の遺伝子とほぼ一致した。
 遺留品の毛髪などがわずかしか残っていなかったが、遺伝子のパターンがこの男性のものと一致する確率はかなり高いという。また、これら遺留品から判明した血液型(B型)とも一致した。(…)
1991年12月01日 朝刊 1社 031

 さらに奇妙なことに科警研が捜査本部にDNA鑑定の報告を行ったのは11/25のことだったが、A紙は10月末の段階でDNA鑑定一致の情報を掴んでいた。それを元に11月6日には、菅家さんの名前を割り出していた。捜査幹部の知らないうちに、科警研の鑑定結果がマスコミに流れる。そのような情報は正しいのだろうか。鑑定人らが結論を出すのを躊躇している時に、既に報道機関が型の一致を既成事実として取材に動いていたとするならば、それに押し切られる判断が迫られていても不思議はない。
 
「一般人が欲しがってるのは所詮生贄。怪しい犯人と思えれば十分だろ。」
 もし上から目線でそのようなことが行われていたとしたら、なめられたものである。ただし、ここら辺には確たる証拠は一切ない。だから陰謀論乙と言われても仕方ないのだが「政治」レベルになるとひたむきな努力等はほとんど報われないことがある。らしい。ということで。

・最後に
 id:Apemanは『「周囲」って表現は普通の日本語話者にとってはまずもって菅家さんの文字通り「周囲「にいた人々、すなわち近隣住民だとか職場の上司・同僚・園児・園児の保護者、パチンコ店の常連客等を意味すると考えるのが当然だから。』としていたけど、この文脈であの解説を捉えることがどれだけ不自然なことかは、id:good2ndさん辺りに検証してもらいたいところ。もし時間があったら実際に本を読んで見て下さい。

*1:途中で見るのをやめてしまったが最終話にこの件を意識した話があったとか。

*2:日テレACTIONにて清水潔を中心とする取材班がこの件に関して頑張っていた。ヤンジャンで連載がはじまってた。